先輩コープさん紹介
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こんにちは、本当にお久しぶりです。猛暑日が続き私も農産物も悲鳴をあげています・・石橋です。

さて、1年間書かせていただきました採用ブログですが、今回が最後のブログとなってしまいました。

1年間のブログで、コープ職員やコープこうべの雰囲気は分かっていただけましたでしょうか??

 

就職活動を終えた方、真っ最中の方、あと残り少ない学生生活をしっかりとエンジョイして下さいね☆

そして縁あってコープこうべに内定しているみなさん!来年の四月には私達職員に負けないくらい個性的でエネルギッシュなみなさんと会えるのを楽しみにしています。

それでは、1年間読んでいただきありがとうございました。

 

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一旦終了です

どうも。人事 森です。

 

新卒採用のためになることを願いつつ、ブログを書かせていただきましたが、

ここらで一旦終了です。

 

最後になって思うのは、

 

「本当に就活の役にたったのか?」

 

という疑問ですが、

 

私の文章はさておき、いろんな職員のブログを読んでいただいた中で、

なんとなく「コープこうべ」の雰囲気は伝わったのではないかと感じています。

 

改めて、「コープこうべの中にはいろんな仕事があるなあ」ということを感じています。

 

今日もトラックで地域を廻っている職員もいれば、

 

店舗で商品提供をしている職員もおり、

 

商品ではなく、無形のサービス提供も行い、(共済や福祉、カルチャーセンター)

 

食品工場ではオリジナル商品を生産し、

 

未来のために環境活動も行っている

 

そんなところで働いているのも、楽しいと再認識したまでです。

 

(ただ、現状、私の右目は真っ赤に出血しておりますが)

 

 

「いろんなことができるコープこうべ」

私も次はどんな仕事が待っているでしょうか?

 

というわけで、終了したいと思います。

読んでくれた方、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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梶藤です。多分、おそらく、これが本当に最後の記事です。 

  

 人間は他人から見て訳の分からないものに血道を上げることがよくあります。 

 山登り、がその一つでしょうか。

 

 他人から見れば苦しいだけに思える。

景色を見たいならハイビジョンやネットで十分だろう。

 

 なぜ山に登るのか そこに山があるから

 

 とは有名な言葉ですが、意味がわかりません。

 

 実はこうした体験の多くは、「言葉にならない」、「言葉で表せない」がゆえに、理解されにくいのだと思います。

 

【 晴れの神様は不良中年を見放したか…!!の巻き 】

 

 89日~14日にかけて、北アルプス(黒部五郎~水晶岳~雲ノ平~高天原)の幕営(テント)での縦走登山を計画。

 

 

 811日早朝8時、薬師岳(2926M)に立つ、コープこうべの不良中年5名。1年間訓練を積み、家族を振り切って(実は拝み倒して)ここまでやってきました。

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右から1人目

     コースリーダー八木さん(インターネット事業部)

トレードマークは25年前のニッカボッカ。コースリーダーだが、ひそかに地図も25年前だったりすることがある(ヒエ~) スキー、水泳もこなすスーパー中年。

 

右から2人目

     リーダー西村さん(無店舗事業めーむ企画統括)

われらがリーダー西村さん。全員の話に辛抱強く耳を傾け、沈着冷静な判断で我々のみならずコープこうべもリードするキーマン。ただ山の上で「焼肉したいなあ」など部下を驚愕させる発言もたまにある。

 

左から1番目

     食当 神田さん(店舗事業部 住関SV

あっと驚く山の食事でいつも楽しませてくれるパーティのムードメーカー。今回も、びっくりする企画ばかり。せっかく準備した具材やデザートを出し忘れて「あぁぁぁぁ」となる姿も、毎度恒例となった。

 

真中

     医療・会計 益尾さん(無店舗事業部めーむ企画)

西村統括の部下でスーパールーキーの益尾さん。実はフライフィッシングもこなす。今回は黒部源流でマス釣りをするため釣竿持参。この瞬間、「釣り吉三平」というニックネームに決まった。

 

左から2番目

     テント 梶藤(店舗事業部 店舗事業企画)

パーティの中では最もヘタレ野郎。体力のなさを装備でカバーするためボーナスつぎ込んで最新ウェアー、器具で固めたものの、今回もヘタレ振りは健在でした。

 

 

<初日> 11

 730 折立  1200 薬師沢キャンプ場

 

 2000メートルを超えると空気も薄い。息が上がる中、森林限界が見えはじめる。101_0940.JPG

  

 

  

 樹林帯を超え、尾根を行く。004 (2).JPG

  

 

 

 太郎平小屋が見えた。テント場はこの先だ。101_0961.JPG 

 

  

テントサイトはこんな感じ。

 

 101_0944.JPG

 

 

 

 テントを張って小屋にもどり生ビールと神田特製もろキュウで乾杯!!安い缶ビールにするつもりが誘惑に負けた…

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 昼からは土砂降りの雨。このとき、富山県一帯に大雨洪水警報が発令。下界では床下浸水の被害も…山の上も、雷がなり、山を稲妻が走る。こういうときは生きたここちがしない。

 とりあえず飯。トマトカレーとサラダ、ツナ缶。おいらは高山病でまともに食えず・・・101_0946.JPG 飯食って早々に寝る。明日は4時起き。台風が沖縄にあるため、縦走を中止し、薬師岳に上ることに。

 

 

 

 

2日目>

 500薬師沢キャンプ-800薬師岳―1100薬師沢キャンプ

 太郎平小屋-太郎山(10分)

 

 4時起き。おいらは高山病から回復しボーッとなっている。先輩方は朝飯作り。一番奥にあるテントには小さな女の子の家族連れのもの。後でこの家族の正体を知って愕然とする。003.JPG

 

 

 

 

 薬師の登りはお花畑も多く心が和む。

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 生物限界を超えると本来の荒々しい薬師の姿が。101_0950.JPG

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 ずっとガスの中にあった薬師岳が、一瞬、顔をのぞかせた。一同「見える、すごい!!」と大興奮、おおはしゃぎ。単にそれだけのことなのに、こんなに感動できる、これが山体験なのだ!!013.JPG

 

  

 

途中の薬師岳山荘にて、持参のコープキリマンジャロブレンドコーヒーを飲む。010.JPG

  

 

 太郎平小屋から薬師岳を望む。ピークは霧の中038.JPG

  

 

 そして、この時、隣にテントを張っていた親子連れと会う。12歳の女の子がお父ちゃんについてよく頑張っているので「すごいねえ、よく頑張ってるね」と声をかけると、何と、2歳から登り始め、10歳で100名山を達成したツワモノ(下河美輝ちゃん)であることを知る。「お前が頑張れよ」と言われたようで思わず頭を垂れる。つくづく人はみかけによらないと一同思う。040.JPG

 

  

 

 

 夜半に台風上陸のためテントを畳み、小屋に逃げることに。太郎平小屋は5人部屋の個室で快適。バイオトイレになっており、景色も素晴らしく、ヘタレのおいらはここで酒のみながら5日間くらい過ごしたいと思った。

 写真は、昼飯。神田特製、とろろ冷麦おくら入り。ただ、食い終わって練りわさびを入れ忘れたことに気付く。101_0960.JPG

  

 

 小屋から見える太郎山に登る。富山湾が一望。100名山ではないが、なかなかいい山だ。056.JPG

  

 

小屋からは日本海を見ると、台風の雲が不気味に東に向かって流れていく。いよいよ到来か…073.JPG

 

  

夕方、本当は行くはずだった水晶岳が見えた。

「来年も来い、わしはいつでもここにいる・・・」

もう一度、来年、来ればいい。そう思いながらみんな静かにその山並みを見つめていた。080.JPG

  

 

小屋のテラスであるだけの酒とつまみで最後の酒盛り。縦走ができなくなり、明日下山することに。もうこうなったら自棄酒だ!!

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この直後から、暴風が。小屋はぎしぎしの音を立て、眠れぬ夜をすごした。

翌朝、暴風雨の中、撤退・・・(涙)001.JPG

横なぐりの風で、おいらはちょっと斜めに。これはこれで楽しかったけど・・・101_0971.JPG

 

 

 豪雨の折立で、西村リーダーが健闘をたたえ、一人ひとり握手をしていく。残念だったけど、おいらにとっては、暑く、ちょっぴりしょっぱい、夏のいい思い出になりました。

 

 

 なぜ山に登るのか そこに水晶岳があるから

 

 来年、また来ます。

 

 

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ご無沙汰しております。いつの間にか生協二年目の水戸です。

 

 後輩が入ってきました!というあたりから更新していませんので、その後私の取り巻く環境も少し変化しています。

 

 配達区域の変更あり、班編成の変更ありで接する組合員さんから、事務所でチームを組むメンバーまで、周りの人間関係が一新しました。

あれよあれよと周りの変化に流され、気がついたら8月が終わっていました。。

 

 でもこの新しい人たちとの出会いで、自分でもいろいろと気づくこともあり、確実に前進していると実感しています。

  

 例えば一年前の自分は、生協に入所して地域担当になり、とにかく目の前の業務に追われるばかりで、自分や仕事を客観的に見ることはできていませんでした。商品を配達して、お勧め商品をお勧めし、組合員さんとの約束、共済やら拡大、迎春 ・・・ボン!! と爆発してしまいそうでした。なにがなにやら。

 

そして二年目に入った瞬間に区域移動になりました。新しい区域でいろんなことにぶつかり、一年目の自分のダメさ具合を思い知り、反省して改善しました。自分なりに前進したと思います。

はじめから何事も上手に立ち回れる人もいます。ですが私は自分で問題にぶつかって、その経験を栄養にして大きくならないと前に進めません。その点で一年目はダメだった分、その栄養でだいぶパンプアップしました。

 

と、二年目の自分について書いてみました。 次回の更新はすぐですよ!!(自分に言い聞かせている)

 

 ちなみにKC明石に移動になった私の敬愛する某 物件を紹介するロケが上手そうな落語家似のチーフですが。目撃情報や出演寄席の情報があればコメントください。

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梶藤です。

 多分、これが最後のブログになるかもしれません。だから少し、真面目に、少しシンミリと書いてみます。

 

 先日、こんなコメントをいただきました。

 

 

僕は11年卒の駅弁大学生なのですが、就職して金を得る意味とか、人生において仕事って何なのかって昨年の10月頃から考えてまともに就職活動しませんでした。

面接に行っても、自分の言っていることの空虚さに気づくし、嘘なんてつきたくない。でも、それを言わねば、演じ切らねば人生の負け組としてレッテルを張られることへの恐怖とそれを求められる理不尽さに悩み続けています。

自分はホワイトカラーになりたい、ブルーカラーにはならないんだという意識があります。前者なら自分のレゾンデートルを得られそうだが、後者は遣労働者に代表されるような「使い捨て」で、バイト先の社員はまさにそんな扱いを受けていました。

僕は社会に価値ある人間に、とっかえの効かない人間になりたいです。

でも、自分のレゾンデートルを与えてくれるのを期待する社会を一方で僕は軽蔑しています。じゃあ社会なんて関係なく(世間体など気にせず)自分の小さな物語を生きたらいいのかもしれません。

自分の信じる価値観で生きたらでも怖いんです、名前のない代わりの効く「誰か」になるのが、両親の期待を裏切るのが。みたいなことを思いながら夏を過ごしています。」(89日 R

  

 

1998年。日本単独の金融危機で、就職活動は困難を極めました。

しかし、おいらはこのとき、ほとんど引きこもりの状態にありました。

夜寝る前にこのまま眼が開かなかったら、と思い、朝起きて生きていることにうんざりする毎日。

飯だけを無理やり体に押し込むと、それでも生きて飯を食おうとしているということのわけのわからなさに、涙が出る始末。

 

 
 なんと過剰で、醜悪で、あまりに脆弱な自意識!

 

人は自分と折り合える程度にしか社会と折り合えない

 

精神科医の斉藤環が言った言葉です。

 

社会に承認されるような何者かになりたい、という思いは裏を返せば、何者にもなりえない、誰とでも取替え可能な自分の生を受け入れられないことの証左。

おいらはそのことに耐えられなかったのです。

かといって、自分が生きてきた人生を振り返って、あるいは自分の能力を冷静にみて、単独で何かを為し得るような人間でないことは数秒待たずわかること。

堂々巡りを繰り返すうちに、社会から退却し引きこもりになっていました。

 

 

社会で生きるとは多かれ少なかれ、Rさんの言う『名前のない代わりの効く「誰か」になる』ことです。それは実は、ブルーカラーだろうが、ホワイトカラーだろうが一緒です。

おいらが居なくなれば、同じ仕事が引き継がれ、誰かがやるだけ。結論にたどり着くのが早いか、遅いかの違いがあるくらい。

仕事とは、そういうものです。Aというものを、どうやってBに移行するのか、ということを、必死で考えたり実行しているうちに、終わっていくものなのです。そして多少の紆余曲折やできばえの違いはあれども結論は同じようなものです。さらに現在のように複雑化した社会ではさらにマニュアル化が進み、誰がやっても同じできばえになるようコントロールされる傾向がますます進みます。

また、例え何か成功をして世間から拍手喝采を受けても、時間とともに忘れられるか、時代が変われば、その評価だってマイナス評価になることもある。

 

 誰とでも入れ替え可能な人生、それが真実っぽい。

だったら、伸びきったゴムのように諦観して生きるか、今が楽しければいいと後先考えずに遊びまくるか・・・全員がこんな風に考え始めたら・・・

(どちらも根底には深いニヒリズムが横たわっています。)

 

 でも、どうしてそんな風に無茶苦茶にならないのでしょうか。みんな、それでも必死に生きていますよね。

 

 

 

 引きこもりを脱し、何とか、コープこうべに拾ってもらい、1999年入所。

すぐに店舗の畜産担当者に配属され、いきなり包丁を握らされ、巨大な肉の塊を目の前に放り投げられました。

  

 

 まな板の前で、呆然と立ち尽くしたことを、今でも忘れません。

 

 

 Rさんの言うブルーカラーになった瞬間です。

 

 上司に怒鳴られながら、それでも必死に肉のさばき方を覚え、商品作りを覚え、一人で売場を任せられるまで3ヶ月。上司はそれまでほとんど休みなしでおいらを育ててくれました。

  

 

 お前を教えることは木を育てることと同じや。

 お前がおかしな方向に枝を伸ばしそうになるたびにわしがそれを摘んでやっとんや。

  

 

 社会から退却しようとしていたおいらを、一人前に人前で挨拶ができ、人を気遣い、うまく協力してやっていけるように真っ当な人間として育ててくれたのです。

 一緒に働いていたメイトさんたちは、母親のようにおいらを励まし続けてくれました。

  

 

 毎日チーフは梶藤君を怒っとるけど、あんたがおらんときはいっつも心配しとんやで

  

 

 そういって、こっそりとケーキを差し入れてくれました。

  

 

 毎日、来店される組合員さんは、おいらの作った商品を、おいらが陳列した商品を毎日買ってくれます。

 

「ここのお肉はきれいやからねえ」

 

と言われることがどんなに嬉しかったか。そのことをメイトさんに伝えると「良かったなあ、梶藤君の商品はきれいやからねえ」と我がことのように喜んでくれて。

 

 おいらは、幸せな職業をしているかもしれないと思いました。

 作る喜び、それを買ってもらい、喜んでもらえる喜び。

 いわば二重の歓びに支えられた仕事をしているのだと、思いました。

 

 もちろん耐え難いほど嫌なこともありました。実際には辞めたくなることも、たくさんあったのです。

 両親からも「お前はそんな仕事をして・・・」といまだに言われます。

 

退却の記憶があるおいらは、「こんなことやっていたって意味がない。生きてることなんて楽しくも無い」と思い、癖のようにニヒリズムに陥るのです。

 そのたびに、仲間の誰かが励ましてくれました。努力し続けることで組合員さんも絶対に最後は答えてくれましたし、それは「声」となって返ってきたのです。

  

 

 こうして気付けば、10年が経っていました。

 

 今、振り返って、誰とでも入れ替え可能な人生、という真実をどう思うか。

 それは一面、真実だったけど、この歩いてきた道、そして出会った人々、言葉、苦しさも含めて味わった経験、それ自体は、誰とも取り替えの利かない、おいら、という「個」を紛れもなく証明してくれている、と、そう感じています。

 

 

答えです。

 

社会に出ることは名前の無い、誰かになることです。誰とでも取替え可能な個になることです。

仕事にも、人生にもたいして意味はありません。時代に流され、社会という歯車の一部になるだけです。面接はそのための訓練です。だからマニュアル対応しなさい。

 

それは虚しいか。

 

虚しいこともあります。

でも、ごくたまにかもしれませんが、自分が必死にのたうち回って歩いてきた道を、愛おしく思うことがあります。

 

そして、いつでもそこには人がいました。

 

 

 まだ奥さんと一緒になる前、おいらは、仕事帰りの電車に乗ると、涙が止まらなくなることがよくありました。

夜の電車には、おいらと同じように疲れたサラリーマンや塾帰りの学生たち、お年寄りや子どもがそれぞれの思いに浸りながら同じ帰路を急いでいる。

人生はむなしい、社会に生きることにも意味が無い、それは真実だが、なぜ、ならば人はこうして社会を生きるのか。ニヒリズムに襲われた人間が、毎日電車の中で刃物を振り回してもおかしくないではないか。

同じ電車に乗っているその瞬間、こうして何人もの生を抱えながらそれでも社会が回っていること自体が、奇跡におもえる。

 

どうして社会はそれでも回っているのか、人は生きていけるのか、それ自体、奇跡ではないか、と。

 

 

 何者かになりたい君へ

 君はもう、かけがえのない君になっている、そうおいらは思う。

 

 

 

 

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高校球児

どうも。人事 森です。

 

毎日熱戦が繰り広げられている「高校野球」

選手のみなさん、暑い中ご苦労様です。

 

私は「サッカー部」だったので、学校内において「野球部」とは反発しあう立場でした。

 

しみじみ「サッカーでよかった」と思うのは

 

「半袖 短パンでよい」ということ。

 

私は夏の暑さがキライなので、

「野球の長袖長ズボンはキツイな・・・」

としみじみ感じます。

 

それから

 

「サッカーは自由に走りまわれるけど、野球は守備中じっとしていないとならん」

 

グラウンドでじっとしているのは、ボールを投げる・打つよりも厳しいのではと感じます。

 

そんな鍛えられた高校球児も、開会式のリハーサルでは何人かが倒れたそうです。

 

まだまだ暑い日が続きますが、みなさんも体調にはお気をつけください。

 

ではでは。

 

 

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こんにちは。坂口です(^v^)/ 

  

日、組合員さんと産地見学会に行ってきました!

場所は兵庫県北部、但馬地方にあるおおや高原です。

ここではコープこうべで取り扱っている有機野菜のブランド(フードプラン

ほうれん草ミニトマトなどが育てられています。

 

 

バスでぐんぐん山を登って行くと、ビニールハウス群がこんな風に見えてきます。

 

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標高600メートルのおおや高原!風はとっても清々しかったのですが・・・

 

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恐らく33以上はあったと思われる蒸し風呂状態のビニールハウスの中で、

汗をだらだらかきながらほうれん草の収穫体験をしました。

皆さんかまを片手に、袋いっぱいに採れたてのほうれん草を詰め込んでいます。

 

フードプランの有機野菜は、化学合成された肥料や農薬を使用せず育てられています。

そのため虫も雑草も農薬では駆除せず、すべて手作業で駆除することになるんです。

 

10メートルとあるビニールハウスですので、夏場のこんな時期だと、本当に気が遠くなるような作業ですね(*△*)

 

 

こういった地道な手作業を含め、フードプランの野菜が私たちの食卓に並ぶまでには生産者の方々の大変な努力がなされています。

それでも、生産者の皆さんは、笑顔でこうおっしゃっていました。

分たちの作った野菜をおいしいと食べてくれる組合員さんがいるから頑張れるんです

 

 

短い時間ではありましたが、生産者の方の苦労を肌で体感して、改めて、おいしい野菜が当たり前に食べられることの幸せを感じました(UvU

 

~帰宅後~

採れたてのほうれん草はおひたしにしておいしく頂きました!

歯ごたえがあって、噛めば噛むほど味が出てきました(^u^)♪

 

 

 

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どうも

最近、顔も心も脂ぎってきた梶藤です。ギトギトです。

毎日、夕方になると、おいらの机にだけどこからか夕日が差し込んできます。

テカテカの顔に反射して、広いフロアの中で一人だけ光ってます。

おいらの前で向かい合って座る同僚は「めっちゃ輝いてるなぁ」とまぶしそうです。

 

 バイヤーさん。何かいい洗顔があったら教えてください。あ、ついでに育毛剤も。

   

 先週の週末、7月17日~18日に上高地・穂高に登ってきました。

 職場の同僚で作る「不良中年アルパイン倶楽部」のメンバーと二人で行きました。

 

 「不良中年アルパイン倶楽部」は、コープこうべの不良中年5人のメンバーで構成。

基本、ワンゲルのノリでアウトドア好きのメンバーが毎月、山に登ったり、立ち飲み屋で飲んだりする倶楽部です。

メンバーは不良にふさわしく個性的です。

コープこうべの職員であれば参加要件を満たしますが、不良であることが重要です。

家族や仕事を置いて1週間山に登れることが条件です。

 

今年のお盆は北アルプス(黒部五郎岳ー鷲羽岳ー雲ノ平ー水晶岳ー高天原温泉)に4泊5日で行く予定。

 

 さて、今回はこの二人で行きました。

 

インターネット事業部 八木さん

 

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 今回の企画者。

 

 もともと京都の比良山に行く予定だった。朝、車の中で「梶藤君、梅雨も明けたし、上高地、行ってみようか」この一言でおいらの人生初、北アルプス登頂の夢が実現される。行動力の人である。

  おいらが筋肉痛で「足、痛いですね」と言うと「へぇ?そう?」と散歩でもしたような感じ。これでおいらより一回り上。

  

 水泳もやってスキーもやって、今度は空でも飛びそうなスーパー中年である。

 

 そしておいら。

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  2時間登っただけで、帰りたくなるへタレ野郎である。夏の雲ノ平は大丈夫か!?乞うご期待!

 

 

【山行記録】

 

目的)来たる8月9日~14日の北アルプス雲ノ平山行に向けて、装備の過不足をチェックする。

 

日程)7月17日~7月18日

 

形式)1泊2日 幕営山行 予備日なし

 

行動予定)

 初日  上高地ー岳沢小屋(2:30)

 2日目  岳沢小屋ー(2:30)―前穂高ー(2:00)-岳沢小屋ー(2:30)ー上高地

  

 

 記録)

 

初日

 

 6時半に神戸出発。梅雨明けのベストタイミング。高まる期待。

 奥さんに「上高地来ちゃった~♪」とご機嫌メール

 「雨大丈夫?」の返信に「大丈夫!」と答えた瞬間、トンネルを抜けるとそこは土砂降りのスコールだった。

 梓川は茶色の濁流となり、穂高連邦は霧の中…

 

 

 

 

 

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河童橋の前で証拠写真。14:00

 

 

 さあ、久しぶりの雨山行だ~ 

   

 登山道入口からしばらく樹林帯が続く。

 腐葉土のむせるような匂い。

 パラパラと笹の葉に雨があたり、しばらく考え事をしながら歩いた。

  

  

 学生の頃、体育会系ワンダーフォーゲル部だったおいら。

 

 でも35になってこんなことやってるとは去年まで思わなかった。メンバーに誘ってもらったのが去年の夏。それから毎週、走りこみと六甲山登山。25キロの歩荷訓練もやった。ハードだけど、充実した日々。

 年とったらまた山でも登ろうと思っていたが、考えてみると、年とって、こんなことできる体力は無い。

 生きているかもわからない。

 できるときに、できることを精一杯やる、ということに気付いた1年だった。

 

 夢想しながらしばらく行くと、雨が上がった。

 俄かに、霧が晴れていく。

 徐々に顔を現す穂高連邦。その姿に、息をのんだ。

 

 

 

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  17時、新しく建てられた岳沢小屋に到着。テントを設営し、さっそく山小屋に。

 目指すは「生ビール」

 新品の小屋から、上高地が一望できる。

 一杯800円でも安い!2杯のみました…

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 サイト場の岳沢カールは雪渓に包まれ、冷たい空気が降りてくる最高の避暑地。

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 夜には、上弦の月に照らされた穂高が見れました。満点の星に感動して、ブルブル震えながらテントに戻ると、すでに八木さんはいびきをかいて寝てました。まだ8時なんだけど…おいらは寒さでちょっと寝不足に。

 

 

 2日目)快晴

 5時出発。トレッキングポールを持っていったおいら。このときまでは穂高の何たるかを全く理解していなかった。

 そう、これが穂高です。

 

 

 

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ほぼ絶壁を鎖使ってよじ登る感じで2時間半。1000メートル登るわけですから。

何気に笑顔ですが、へタレのおいらの心は半泣き状態でした。

 でも前穂高は優しいほう。奥穂、西穂、槍に行くコースなんてこんなものではないそうだ。

「まだここは足場があるからな」という八木さんの一言に 「とがった山は大嫌いだ」と改めて思ったのであります。

 

 8時には山頂に到着。北アルプスが一望できます。槍ヶ岳が見えますね。

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南を見れば富士山が。

手前は南アルプス、甲斐駒ケ岳か。101_0883.JPG

奥穂高から西穂高にかけて

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 帰りは恐怖も薄れ、だんだんテンションが上がってきました。

 まるで空を飛んでるみたいです。

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 はるか下に岳沢小屋の赤い屋根。

 

 さて、11時前には小屋に降りて、テントを撤収。すでに足はひざがっくんで、心なしか写真で見ても元気がない(^^)

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 アタックをかついで、岳沢カールに別れを告げます。

 行きは雨と霧でよくわからなかった樹林帯はこんな感じ。

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 途中、岳沢の名所、天然クーラーの風穴で涼をとる。雪解け水が地下を沢上に流れ冷やされた空気が穴から噴出しています。冷蔵庫並みに冷たいです。

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 13:30 上高地着。顔は笑ってますが、膝がっくんがっくんです…

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 今回の山行で14年ぶりにテント生活を思い出しました。おいらは傘を忘れ、八木さんは米を忘れるハプニングもありましたが、本番さながらのプレ合宿となりました。

 

さあ コープこうべに入って、「不良中年アルパイン倶楽部」に入部しよう!

 そして、おいらの変わりにテントを持ってくれ・・・頼む!

 

 

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母校の応援

どうも。人事 森です。

 

年を重ねると、「母校」ということに対して敏感になる今日この頃。

何故かは、おそらく「高校野球の県予選」がはじまったからだと思います。

 

しかし、私は野球少年ではなかったため、あまり興味なし。

そんなときに、某「サッカーなんとか」という雑誌を読んでいたらなんと

 

「母校」が出てました。

 

なんと埼玉代表で、インターハイに出場するらしいです。

(埼玉代表は2校あるので、その恩恵かもしれん)

 

最近、ちらほら強いとは聞いていたが、まさかこんなになるとは。

 

私の母校は、過去には全国大会4回優勝という名門でしたが、何せ公立校。

 

私がサッカー部だった時期は、「サッカー好きだが、大したことない」時代でした。

とはいえ、世の中のJリーグ人気にあやかり、部員数はそれなりに多かったことは覚えています。

 

うれしくて、母校ホームページを閲覧すると、部活動紹介のページがあり、

早速「サッカー部」を見ると、

 

なんと、

 

部員数

 

「142人」

 

と書いてありました。

 

1学年40人以上在籍とは・・・

 

「全校男子生徒の1/3がサッカー部です」とも書いてありました。

 

こんな母校になっていたことに驚くと同時に、「昔のサッカー部でよかった」と思うばかりです。

 

母校の応援に行きたいところですが、今年のインターハイは何を隠そう

 

「沖縄」

 

開催です。

 

心の中で、勝利を祈っています。ではまた。

 

 

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こんにちは! 人事 木村です。

 

今週は全国的に梅雨らしい天気だそう。各地で大雨のニュースが流れていますね。

 

タイトルの件、実は私は「雨オンナ」という別名を持っておりまして、毎年雨の季節になると、ついこの話題を出してしまいます。

 

昔から何かイベントごとがあるときは決まって雨。
小学校の林間学校も修学旅行も、高校の卒業式も家族旅行もとにかくなんだって雨。

一番ひどかったのは大学の卒業旅行です。
イタリア8日間の旅に行った時は8日間中7日間が雨。
帰国する朝、空港へ向かうバスの中で初めてイタリアの太陽を目にしました。


オーストラリアでは、「1年に3日間しか雨が降らない」というエアーズロックの地に雨を降らせて、ガイドさんに終始感動されました。

今でも、それまで窓の外は晴れていたのに、私がお昼ご飯を買いに外へ出た瞬間「ポツポツ・・・」なんてことがしょっちゅうあります。

 

他にも、イベント事の度に「木村さん明日大人しくしててね、近づかないでね」とか言われたり。「失礼な!!」と思いますが、前科が多いために反論の余地もありません。

 

反面、森さんは「晴れ男」。採用活動中はその「晴れ男パワー」だけ威力を発揮して欲しいのですが、いかんせん私も存在してしまうために、「降りそうで降らなさそうな曇り」になることが多々あります。

みなさん、イベントがあるときはご一報を。近づかないようにしますから(笑)

では、また。

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